イエスへの信頼

最近のことですが、夜ベッドの中で、いつものように夢を見ていました。

しかし少しいつもと違っていました。

暗いどんよりとした空。昼間なのに、薄暗く、異様に重たい雨雲から

次第に大粒の雨が勢いよく降り出しました。

仕事中だった私は、どんよりとした空のように

暗くなって、落ち込んでいます。

「これから、まだ沢山配達があるというのに。」

トラックでの配達の仕事で、

最も恐れている状態が、これなのです。


その時、天から声がありました。

明け渡せ!

  明け渡せ!

    明け渡せ!


その声が頭に響きました。

そして私は目を覚ましました。

うつつの中でなお私はつぶやいていたのです。

「明け渡せ! 明け渡せ! 明け渡せ!・・・・・」



聖書には、イエス・キリストのことが書かれています。

私達が幸せ、本当の幸せをつかむためにイエスは来られました。

これに対して聖書を読む人は誰も疑いようがないはずです。


それでは本当に幸せになれるでしょうか。

例えば、洗礼を受けて、教会の一員になったとしても・・・です。

そこには人間によるコントロールと信仰の微妙な違いみたいなものがあるのです。



では「信仰」とは何でしょうか。



「信仰とは何か」を理解しなければなりません。

信仰とは、洗礼を受けたり、献金を捧げたり、

日曜日に礼拝に行ったり、教会員になったり、

教会で奉仕したり、

まして牧師に気に入られることではありません。


信仰とは、イエスとの個人的な関係において、

イエスにすべてを明け渡すことに他ならないのです。


イエスがどんなにあなたを愛し、あなたを幸せにしたいと

思っていても、あなたが自分自身を持ち続けていたら、

どうすることもできないのです。


それが信仰ということです。

信じるということです。

信頼するということです。





そのようなことが心の中を駆け巡りました。

将来に不安を抱いたり、

最悪の事を考えては落ち込んだり・・・・


わがたましいよ、この重荷をイエスにゆだねないのか。

この方にすべてを任せ、信頼して人生を歩め。


もうこれからはあなたはどんなときも

苦しむことも、

悲しむこともない。

イエスがあなたとともに歩んでくださるから。


発達障害  限りなき脳力

発達障害をネガティブに捉えずに、個性・能力を活かしてどのように生きればよいのかを、またその能力について考えるサイト Top photo by Cristian Newman

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