キリスト教がどんなにすばらしいかということは言葉ではなかなか言い表せません。
イエスを信じるようになったらその人達は定期的に集まります。
そこで祈り合い、励まし合います。毎日の生活の中でいろいろな問題にそれぞれの人が直面するからです。この集いが大きな励ましとなり、喜びになることは間違いないことは、容易に想像がつくでしょう。多くの人が一同に集まった方がよいということはありません。2〜3人でもいいのです。
それが教会ということになります。
ですが、そこに会堂建設や、組織作りなどを人はしたくなるので、教会の労力がそちらに注がれるようになります。
もちろんほとんどの教会がそうであるわけで、それが全くいけないと言っているのではないのです が、私はそうでないほうがより良いと考えているのです。
会堂や組織のある教会で、いい教会はもちろんたくさんあって、活気のある活動をして、生き生きとして成長している教会もたくさんあります。
多くの方々がそういう教会へも行かれることはよいことです。
パウロが信徒に負担をかけたくないと自ら働きながら生活して、伝道活動をしていたように、少しでも多くの人にこの福音が広まるように、イエスを信じるようになった信徒が大きな喜びを抱いて毎日生活するためにも、まず会堂建築を志すべきではないと私は思います。
教会の楽しいイベントや目に見える会堂の豪華さが見る人の信仰にならないようにすべきです。キリストそのものがとにかくすばらしいのであって、他にはなにもいらないのですが、それに加えていろいろなものが必要だと多くの人は考えています。
宗教はお金がかかると多くの人は考えていますし、事実どの宗教もお金が絡んできます。しかし、そのようなことがあってはならないし、キリストの教会はなおさらあってはならないのです。
キリストはあなたのためにいのちを捨てられました。すべてをあなたにお与えになったのです。キリストはあなたから何かを得ようとしてはいません。ただあなたがこれからもっともっと豊かな人生を過ごし、やがていい尽くしがたい素晴らしい場所、天国へ行くだけを望んでおらるのです。キリストも教会もそれ以外に信徒に求めることは何もないのです。
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